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東京高等裁判所 平成元年(う)1113号 判決

本籍

東京都新宿区上落合二丁目五四三番地

住居

同都同区上落合二丁目二四番一一号

弁理士

中島宣彦

大正四年八月二三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成元年九月五日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官山崎基宏出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人和田衛名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山崎基宏名義の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、〈1〉原判示第一ないし第三の各逋脱所得金額中、有価証券譲渡益による雑所得については、被告人が家族名義を用いてした株式取引は総てその名義人に帰属し、これを除外すれば、被告人に帰属する株式取引は、年間一銘柄につき二〇万株以上の売却という当時の課税要件を充たさず、〈2〉仮にこれを充たしているものとしても、被告人にはそのことの認識がなかったのであるから、これらの点を肯認し、公訴事実と同旨の事実を認定した原判決は事実を誤認したものである、というのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示第一ないし第三の各事実は、これを優に肯認することができるから、原判決に所論の誤認はない。所論に鑑み、以下に補足説明する。

一  家族名義による株式取引の帰属について

関係証拠によれば、被告人は、昭和二〇年代の後半以降、弁理士の業務によって得た収益を、更に同五四年以降は脱税して浮かした資金をも原資として、継続的に株式取引を行い原判示第一ないし第三の時期に及んだものであり、この間、株式の売却代金で転換社債や割引債券を購入し、更にその売却益や償還益で定額郵便貯金を設定するなど、多彩な方法で資産の運用、利殖に当たってきたこと、被告人は、右株式取引に当たり、自己名義のほか、長男宣雄、次男宣治、三男宣隆、宣治の妻京子、その娘真珠子、宣隆の妻千賀子、その娘奈生の名義を用い、また、これらの名義を用いた定額郵便貯金を設定していることが認められる。

1  ところで、所論は、被告人が家族名義を用いてした株式取引は、実際に各名義人に帰属するというのである。

しかし、これらを取得した原資が本来被告人の資産であることは前示のとおりであるから、これらが各名義人に帰属するというからには、株式の取得原資又は取得した株式そのものにつき、被告人から各名義人に対し贈与がなされていなければならない。しかるに、関係証拠によれば、被告人から各名義人に対し贈与の意思を表示したことも、各名義人ないしその法定代理人がこれを受諾したこともないことが明らかであるから、法律上有効な贈与があったものとは認められない。被告人が原審公判廷で述べるところは、被告人は、宣雄らの誕生後間もないころから、その将来の進学、結婚などを考えて、同人らの名義による預貯金や株式取引をしてきたというのであって、各名義人相互や被告人の資産との流用を避けていたとはいえ、それは将来の贈与に備えて一応の目安とするものに過ぎず、宣雄のために昭和五九年にマンション購入資金として、同六〇年に新婚旅行等の費用として支出した金員のように贈与が現実化したものを除けば、単なる贈与の予定ないし腹積もりであったと認めるのが相当である。

2  所論は、次に、被告人が株式取引に投じた資金の中には、宣雄ら三名が幼少のころからお年玉などを母親に預け、預貯金としていたのを被告人が亡妻から引き継いだもの、宣雄が被告人の事務所で無償で働いていた当時のアルバイト料相当額、宣隆が米国に出向するに際し被告人に寄託した貯金などが混入していると主張する。

しかし、被告人は、検察官に対する平成元年一月九日付供述調書等において、本件株式取引の原資は、被告人の弁理士としての正規の収益、昭和五四年以降脱税して浮かした金員、これによって購入した株式の売却益や割引債券の償還益であると明言しており、所論のような資金が混入していたことを述べていないのである。これに対し、原審公判廷における証人中島宣雄及び被告人の所論に副う各供述は、その内容が極めて曖昧、不明確であって、たやすく措信するを得ない。すなわち、被告人は、妻の死亡時に引き継いだ預貯金の額につき、約一〇〇〇万円であると供述した直後、弁護人との打合せのときの額と違うことを指摘されると、実にあやふやな数字ですと述べた上、一転して一人一〇万円宛の三〇万円位と供述を変更しているし、宣雄のアルバイト料についてもおおよその金額すら記憶にないと述べ、宣隆の寄託分に至っては全く述べていない。また、証人中島宣雄は、母親が死亡した当時の預貯金の額や自己のアルバイト料等について具体的な金額を提示せず、単に相当額あった筈と述べるに止まり、宣隆の寄託分に至っては、それが宣隆から聞いた話なのか被告人からの伝聞なのかすら曖昧で、具体的を欠く。右のうち、宣雄のアルバイト料なるものは、通貨、直接、全額払いの原則に違反し、かつ、源泉徴収義務をも怠っているところから正規の賃金とは到底認めるに由なく、単に同人が無償で役務を提供したことを将来の贈与に際し配慮したいという意向を表明したものに過ぎないというべきであり、また、その余の寄託分については、よしんばそのような事実が認められたとしても、その数額が不明であるばかりか、寄託者において過去はもとより、現在及び近い将来においてその返還ないし清算を求める意向が全く窺われないことに徴し、被告人においてこれを被告人の資産と共に運用し、利殖の上、将来その時期が訪れたときに公平に分配してくれることを期待してその処分を被告人に一任したものと認めるのが相当であり、現在の時点において寄託者の権利を留保しているものとは認められない。

叙上の次第であって、本件家族名義の株式取引による収益は、将来これを各名義人にしかるべく配分することが予定されているとはいえ、現時点においてこれが各名義人に帰属するものとは認められず、これを被告人の所得とした原判決に所論の誤認はない。原判決が本件株式取引の「原資は必ずしも名義人本人に確定的に帰属した財産とは言い切れない」云々と説示しているのは、措辞必ずしも分明ではないが右と同旨をいうものと解すべきであり、これを「名義人本人に確定的に帰属した財産であった可能性を認め」たものであると主張する所論は、原判決を正解しないか、弁護人独自の見解を披瀝するものであって、採るを得ない。

二  課税要件の充足に関する被告人の認識について

所論は、本件株式取引が有価証券譲渡益に対する課税要件を充たしていることにつき、被告人の認識が欠けていたと主張するが、関係証拠によれば、被告人は、遅くとも昭和五八年までには、有価証券譲渡益に対する課税要件、すなわち、年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上の売買及び一銘柄につき年間二〇万株以上の売却が課税の対象とされること、その際、額面五〇円以外の株式については、額面金額を五〇円に換算して売買株数を算出することなどについての知識を得ていたものであり、本件株式取引に当たっては、注文や受渡しを総て自ら行い、売買報告書等の関係書類を銘柄毎に封筒に入れ、その表面に克明なメモ書きを付して几帳面に整理していたことが認められるから、このような被告人が、自己及び家族名義による本件株式取引に関し、一銘柄についての売却件数が年間二〇万株以上に達し、課税要件を充たしていることの認識を欠いていたとは到底考えられないところである(ちなみに、関係証拠によれば、所論にもかかわらず、昭和五八年の東京海上火災株を除けば、家族名義の分を含まない被告人自身の名義による株式取引のみで右課税要件を充たすものであることが明らかである。)。むしろ、被告人は、その検察官に対する各供述調書の記載からも窺われるように、もともと株式取引による譲渡益を申告して納税する意思はなく、注文伝票総括表等を利用して売買回数を抑えるなど、できるだけ課税要件を充たすことのないよう注意するものの、多額の譲渡益が見込まれる場合などには、課税要件の点を敢えて意に介することなく、大量の株式取引を行っていたもので、本件においても、所得の申告に際し、有価証券譲渡益について、売却回数が多かったので課税要件を充たしているかも知れないと思いながら、株数を数えることなく、右譲渡益を全く申告しなかったものと認めるのが相当である。所論は、被告人の検察官に対する供述調書の信用性を争い、各調書は、被告人が長期間に亘り検察官の取調べを受け、弁解しても容れられず、起訴猶予処分等の有利な取り計らいを期待し、妥協する形で供述した結果作成されたものであって、極めて信用性に乏しい、というのであるが、記録を検討しても、所論のような取調・供述状況は認められず、各供述調書の内容は、宣雄の関係供述等とも整合している上、右調書には被告人が進んで供述しなければ判明しない事柄が多々記載されているのであって、所論指摘の外国株に関する知識や認識の点についても、外国株を買うに際して、配当があると総合課税で面倒なので、「低位無配株」と言われていて長期間配当がないと思われたパン・アメリカン株を購入し、その後は、常時、株価と為替レートに注意を払っていたところ、昭和五八年になって株価と為替レートを計算した結果、相当儲けが出ると判断したため一気に売却したもので、それが売却株数の点で課税要件に当たるかどうかなどは意に介さなかった旨記載(平成元年二月二四日付供述調書)されていて、被告人が、株式取引と納税に関する気持等を率直に供述してことが窺われるから、各供述調書は、全体として措信できるものと認められる。もっとも、被告人は、原審公判廷で所論に副う取調状況を供述した上、外国株の譲渡益については全く課税の対象とならないと思っていた、とか、株数の換算方法は知らなかった旨供述しているが、この供述は、既に見た被告人の株式取引に関する知識や経験等に照らし、たやすく措信できない。

そうすると、被告人は、本件の各株式取引が、かなり大量だったことなどから、所定の課税要件を充たしているかも知れないと認識しながら、これを確認することなく、各株式取引に関する譲渡益を全く申告しなかったものと認められ、課税要件が充たされていることの認識を欠いていたものとはいえないから、この所論は採用できない。

三  結語

叙上説示のとおり、有価証券譲渡益による雑所得に関する原判決の事実認定に誤りはない。論旨は理由がない。

第二控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について

論旨は、要するに、原判決の量刑、ことにその罰金額は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、本件は、東京都内で弁理士を業とする傍ら営利の目的で継続的に有価証券の売買を行っていた被告人が、自己の所得税を免れようと企て、事業収入の一部を除外すると共に有価証券の売買を他人名義で行うなどの方法によって所得を秘匿した上、昭和五八年から同六〇年までの三年分の実際総所得金額が合計二億六四四一万八四七八円であったのに、所轄税務署長に対し、その所得金額が合計二七八一万一七四三円で、これに対する所得税額が合計二二七万二九〇〇円である旨虚偽の確定申告書を提出して、各納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、合計一億四九一六万二三〇〇円の所得税を免れた、という事案である。右にみるとおり、逋脱税額が巨額に達し、逋脱率も通算で約九八・五パーセントと極めて高率である上、被告人は、従前から所得税が累進税率となっていて収入が増えると税金も増えるのでは勤労意欲がなくなるし、収入の多い年に正直に申告すると収入の少ない年まで税務署に疑われることになると考えて、年によって収入に差がでないように毎年の事業所得を一定額に抑えて申告していたことが認められ、被告人の納税意識は甚だ希薄であるといわざるを得ないのであって、有価証券取引に際して多数の取引口座を設け、その一部を家族名義とするなど犯行の態様が計画的で巧妙であること等を併せ考えると、犯情は全体として不良であって、被告人の刑責は到底軽視することができない。

してみると、被告人は、事犯の発覚後修正申告の上、逋脱した本税及び付帯税の納付を完了していること、被告人には七五歳の現在まで全く前科前歴がなく、自ら招いたこととはいえ本件判決の確定により弁理士資格の喪失という制裁を免れないこと、その他被告人の健康状態や家庭の事情等被告人に有利な諸般の情状を十分に考慮しても、被告人を懲役一年二月、三年間刑執行猶予及び罰金三六〇〇万円に処した原判決の量刑は、その罰金額の点を含め、まことにやむを得ないところと認められ、重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)

平成元年(う)第一一一三号

被告人 中島宣彦

○控訴趣意書

右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人の控訴の趣意は次のとおりである。

平成元年一一月二七日

弁護人 和田衛

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 事実誤認

本件原判決は、ほ脱所得金額のうち、有価証券譲渡益による雑所得分については、課税要件を充たしていないし、仮に客観的には課税要件を充たしているとしても、被告人にはこれが課税されるべき場合に当たるとの認識がなかったとの被告人の主張を排斥した。

しかし、これは以下に述べるとおり、事実を誤認したものである。

一、原判決は、本件家族名義による株式取引は、被告人自身の取引と認められるとして、その根拠として「原資は必ずしも名義本人に確定的に帰属した財産であるとは言い切れない」とするが、原審において立証しその弁論において詳述したとおり、本件家族名義による株式取引の原資としては名義人本人の所得資金が当てられものである。

原判決の右認定で重要なことは、右判示文言から明らかなとおり、原判決の認定自体においても、本件家族名義による株式取引の原資は名義人本人に確定的に帰属した財産であった可能性を認めざるを得なかった点である。

従って、刑事訴訟の「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則に従えば、本件の評価においては、本件家族名義による株式取引の原資が名義人本人に確定的に帰属した財産であった場合にどうなるのかという観点から判断せざるを得ないのは当然の帰結である。

しかるところ、株式取引がその名義人の取引とみられるか、いわゆる借名口座を用いた本人の取引と見るべきかは、専ら、その資金の帰属及び取引結果たる損益の帰属によって判断されるべきものである。それは、損益の計算主体が誰かという表現をしてもよいものであるが、一旦借名人自らが損益の主体となり、自己の計算をした後において、名義人との間て名義借用料等の精算を行うといった場合には、借名口座を用いた者の取引と見るべきであろうが、本件では、右のとおり、その資金は名義人本人に帰属し、しかも、株式売却時には、その名義人の口座による預貯金として厳密に運用されていたものであり、株式売買結果たる損益は、被告人との間における特段の精算行為を経ることなく、直接その名義人に帰属していたものである。

このような株式取引が名義人の取引と見るべきか、いわゆる借名口座を用いた本人の取引と見るべきかの最も重要な判断要素たる、資金の帰属、損益の計算主体という点において、本件ては名義人たる家族の見ざるを得ないのであるから、原判決の事実誤認は明らかである。

二、原判決は、本件家族名義による株式取引が被告人自身の取引と認められることの根拠として、「株式取引をするにあたっても名義人本人の意志とは無関係にもっぱら被告人が独自の判断によって行ってお」ったことを掲げるが、このような事実を重要な判断要素とする考察方法自体誤っているものである。

いわゆる一任売買の場合に、その取引主体が一任者であること、ひいては課税を受ける者がその一任者であることは疑いのない事実であるし、定着した運用である。

売買銘柄の選定や売買の時期等を第三者の判断に完全に委ねたからといって、その資金の帰属や計算主体が一任者である場合には、課税の対象がその者になることは明らかであり、原判決の右認定評価は、この点において根本的な誤りを犯しているものと言わねばならない。

三、また、仮に客観的には課税要件を充たしているとしても、被告人にはこれが課税されるべき場合に当たるとの認識がなかったものである。原判決は、右犯意を否認した被告人の公判廷での供述を借信できないと排斥し、被告人の検察官に対する供述調書に信用性を認め、これに従って認定をなしたが、この点も事実を誤認したものである。

すなわち、被告人に課税要件とりわけ外国株式について為替レートによって株数の修正を行った上で株数算定を行うといった極めて特殊専門的な方式について全く認識がなかったことについては、原審の弁論において詳述したとおりであるが、これらの認識に反する検察官に対する供述調書は、検察官の不起訴処分等寛大な処分を期待して、検察官の主張をそのまま迎合的に受け入れた供述でしかない。

被告人は数ケ月にわたる検察官の取調べに対し、犯意を一貫して否認していたのであり、それが故に何度も取調べを受けながら検察官の意に沿わない内容であったその当時の調書が作成されていないのである。最終的に被告人が検察官に対し妥協する形で調書が作られたのであり、そのような調書の内容に信用性を欠くことは明らかである。

第二 量刑不当

原判決は、被告人に対し、懲役一年二月及び罰金三六〇〇万円に処したが、とりわけその罰金額は過大にして不当なる量刑というべきである。

原判決の量刑の理由の記載でも分かるとおり、本件において特に悪質と指摘されるような事情はなく、かえって、被告人は修正申告をなし、本税、附帯税の納付を完了していることや、被告人には前科、前歴が全くなく、七四才の今日まで真面目に弁理士として働き、健全な社会人として暮らしてきたものである。

しかも、本件により、被告人が修正納付した本税、附帯税は合計すると金一億九千万円余に達しており、原判決の課した罰金を加えると約二億三千万円となり、制裁とはいいながら実際総所得金額の全額を納付する結果となる。

他方、被告人は本件有罪判決の確定により、弁理士法によってその資格を失うという極めて大きな制裁を被るのであり、その 年齢や健康状態を考えると新たに収入を得る道を確保することは不可能と断定できるのであり、このような事情を考慮すると、右罰金額は被告人に対し酷に失するものであり、せめて右罰金額だけでも減額頂きたい。

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